和菓子のお教室をはじめさせて頂いて早や12年になります。

たくさんの美味しいお菓子、珍しいお菓子に出会いました。

そんなお菓子の思い出やエピソードを、少し… お話したいと思います。

 

◆ 2009年 2月  福ハ内 

2月3日は節分。明けて4日は立春です。 体感的には最も寒いこの季節に暦の上には春を迎えます。

節分といえば豆まきですね。 私達が幼いころは家族みんなで「鬼は外 福は内」を声を出し、父が豆をまきました。 歳の数だけ拾って食べる… あの行事です。 近所の家からも同様の声が聞こえ… 翌朝は道に豆がいっぱいこぼれていました。 のどかな時代でしたね。 (笑) 

節分のお菓子として思い浮かべるのは、鶴屋吉信さんのその名も「福ハ内」です。 我が家では初釜の時の干菓子としての印象が強いのですが…。 神戸には良いお菓子屋さんが少なく、干支や御題の気の利いた干菓子が手に入らない、と、父はいつもこの「福ハ内」を用意しました。 暮れの12月から翌2月3日までの期間限定の銘菓です。

私も妹も、このぷっくりとしたお福豆の形をしたキメの細かい桃山製のお菓子が大好物で、余ったお菓子を取りあったものです。(笑) 残念ながら… 子供の頃にケンカまでして奪い合った程の感動や喜びは、今では感じられません。 裏面のお焦げももっと香ばしかったように思うのです。 が、そう解っていても!今なお! この季節にはお店の前を素通りする事はできず、ついつい、買ってしまうお菓子がこの「福ハ内」です。  

このお菓子が誕生したのは明治37年とのこと、当時としては驚異的な美味しさであった事と思います。 器が枡の形をしていて、竹でちゃんと対角線まで表現された杉箱です。 “ますます繁盛”の縁起が喜ばれ、迎春、立春を祝うお菓子として人気を博したというもの納得です。 最近では更なる進化を遂げ、内側に透明のプラスチックケースが収められ、お菓子の乾燥を防ぐための真空状態でのパッケージになっています。

            

我が家では、この箱が溜まってくると母が「いかなごの釘煮」と詰めて、発送します。 中身とは何の関係もないこの杉箱ですが、「福が来た」と、やはりタッパーの容器より、評判が良いのだそうです。 (笑)